頭の中の妄想さ!

できないことなんて全部

20卒 #ジャニオタと就活

 

 

 

 

 

 はい、2020年3月です

卒業した!!!!!!

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就活を始めるぞ〜!って頃から幾度となくお世話になってきた、諸先輩方のブログに倣って、俺も就活が終わったら書くんだ!なんて意気込んで早一年。

 

お待たせしましたわたし!

やっと書きました!やっと世界に放ちます!

 

 

 

 

まず、私個人の基本情報。

・舞台系専門学生

・地方出身 関西在住

・アルバイト:イベント運営会社×2、コンビニ

ガクチカ:何もなし

・田中樹を愛し、地方在住18年間の現場制限に苦しむ(ここ大事)

 

 

 

まず、最初に言い訳したいのが、私の学科では卒業時点で就職先が決まってる人が半分しかいない。業界就職への正社員就職は1割程度。

基本みんな一般職のスーパーや事務職等への就職。

正社員での就職を選ばなかった子は結構いる。

ライブハウスでアルバイト、イベント会社で派遣アルバイト、メイド喫茶でアルバイト(?)などなど...。

そして、就職活動を始めるのは2年次の夏からが主流だった、やる気がなさ過ぎる就活生。

 

それを踏まえた上で見ていただきたい。 

 

 

 

 

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2019年3月1日〜(1年次3月1日〜)

 

春休みの帰省中に実家でだらだらしてると、母に「3月1日だけどいいの?」と言われ、きょとんとする。

この時の私は3月1日に就職関係の何らかが解禁だなんてこと知りもせず、ESとか、あとなんだっけJASRACみたいなテスト?あれも未だに理解出来てない。

 

全然、春休みは毎日地元の自動車学校行ってた。

 

 

ただ、この春に家族にそこそこ大きな転機があったので、一応はぼんやりと就職を考えるようになっていた。

うちの学科の中では動き出すのが早い方だった。

 

あと、この頃からキヨスクでバイトを始めたり、学校の都合でたくさんの野外イベントで実習したり、

CHANGE THE ERA-201ix-に行ったり。

 

 

 

 

2019年5月〜8月。(2年次5〜8月)

 

この頃から、大量の合同企業説明会に友人と手当たり次第で行ってみた。

参加したらもらえるクオカードや図書カード集めの為に行ってた。

この頃は業界就職は諦めて、一般職を考えてた。「なんでもいいや〜どうでもいいや〜」ってやつ。このまま関西に残るのか、地元にUターンで就職するのか、勤務地すらも何も固まってなかった。

 

そして一度、地元に帰ってハローワークに行ったり、県の合同就職説明会に通ってみた。

この頃から、地元就職の気持ちが強くなる。

 

そして、学校の先生の繋がりでイベント運営会社を2社紹介されて、そこで派遣としてアルバイトを始める。県内の商店街のお祭りから、大きな会場の展示会、コンサートなどの仕事を経験して、その辺りからなんとな〜く「イベント関係の仕事いいやん」と思うようになる。

そこで、地元でイベント運営したい!と思い始めるんだけど、思っても100%求人がでてない。

携帯ショップの何かしかない。そうじゃない。

(くそ田舎👊💢)

 

専門学校で学んでることをハローワークで説明すると、やっぱり業界就職を進められてその分野の会社を紹介されるのよね。舞台系の音響照明会社や地元テレビ局のエディターとか。

学校で映像編集の授業があって、編集作業も好きだし得意だったから地元テレビ局の求人は素直に乗っかってみた。

 

 

で、そのテレビ局への企業見学を翌日に控えた

2019年8月8日。

好きな人のデビューが決まる

 これをXデーと言います。

 

泣き腫らして死んだ目のまま、企業見学に行くと、すこぶる気に入られた。

「是非、君を入れたいから履歴書とか送っておいで。待ってるからね」とも言われた。

そのセリフに舞い上がって、言われた通りにすぐ履歴書書いて送った。面倒臭い小論文もクソ真面目に家族に手伝ってもらいながら書いた。

私自身も会社に対してちゃんといいじゃん、と思ってた。会社の人間関係も良さそうだし、やってもいいかも、と。

今考えればXデー翌日で頭がバグってたかもしれない(言い訳)

 

 

しかし、8月末に面接の日程を知らせると言われたのに、延期になり、実際に面接が行われたのは10月。

その頃には時間が経ち過ぎて見学会の時の「やりたい!働きたい!」みたいな気持ちもなく、「この会社なら頑張らなくても余裕っしょ」「あんだけ気に入られてて落とすとかなくない?」と完全に舐めてた。

だって、9月少年たちも終え、

11月にはRough"XXXXXX"が控えてたんだも〜ん。

人生絶好調レベルに調子に乗ってた。

完全に受かった!お先に失礼!同級生のみんな頑張れ!とまで調子に乗ってた。

(もはや、内定までの諸々の工程がめんどくさくなってた。)

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そして案の定、面接翌日に内定けた。

(1週間以内に連絡とか言われたのに本当に翌日で秒過ぎ)(24時間も経ってない)(電話に出たのは寝起き状態inベッド)

 

 

 

だがしかーし!!

 

 

 

 

面接を受けてみて。

面接の時点でなんか漠然と...やだな〜って。無駄に悔しくて面接後、家に帰って姉に話しながら泣いた。

何故なら、

・この会社を受けていたのは自分だけだった(人を蹴落として選ばれたかった)(言い方)

・私を気に入ってくれていた人事の人やお偉いさん達のセクハラと感じられる言葉の節々や、個人情報!と叫びたくなるような質問内容。

田舎特有なのか分からないけど全体的に古かった。

この令和元年にそぐわない ここだけ昭和以前なんか?

という面接内容。

(基本顔はスペースキャットだったと思う)

 

こんな環境で生きていけない、生きていきたくないと恐怖すら感じた。

 

 

 

 

その気持ちのまま、この内定を辞退する気で就職活動をもう一度真面目に考え始めた。

一応の内定のお陰で保険がついたというか、この時点で内定持ってる同級生が片手程度もいなかったから、まだ勝ち組だな、みたいな優位な気持ちで迎えた

Rough”XXXXXX” 東京国際フォーラム オーラス

これ終わりで私はクソ病む

ツアー自体は最高に楽しかった!超楽しかったからこそクソ病んだ!

 

何ってさ、全国何箇所も回るツアーで、近所にも来るのにわざわざ東京を選んで行ったのが初めてだったのさ。(近所は当たらなかっただけなんだけど)

今年の話だと少年たちでも東京行ったけどさ、遠征の楽しみ知っちゃったのさ。

 

 

 

そこで出てくるお金と時間の問題

 

次に控えるは〜?

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TrackONE-IMPACT-〜!✊

 

考えることが山ほどじゃん。

デビューツアーなんて一生に一度だし、彼らのそれに立ち会えるなんてマジ奇跡じゃん!?

なのに、オラは田舎さ帰るんけ?帰ってええんけ?

関西より遠くの田舎に帰るんけ?という禅問答。

 

( 脳内 🧠  )

大阪でのコンサートに行きやすい but 家賃物価が高い and 独り

 

業界就職もまだ希望がある。

🆚

地元の安心感 and 給料の全てがオタク資金 but 限られた少ない仕事

思うようにコンサートに行けない!(断言)

 

 

 

 

 

という感じでクソ病んだ

(こんなヲタクに重きを置きまくった就職活動で病んでるやつ絶対人類史上初...。)

よく母親に助言というか相談してたんだけど、この頃から”ジャニヲタと就活”のURLが送られてくるようになった(笑)

 

 

 

そしてやる気がないなりに諸々考えた結果、一度は、地元で普通に事務職に就く方向で考えを固め、一般求人を受けられる1月を待っていた。

 

しかし、いざ年が開けると、年始に集まった従兄弟や父の友人の子供たちが自由に生きている話を聞区機会があり「やっぱりわたしも面白いことがしたい!」と思い、関西に留まり今働いているイベント運営会社にそのまま継続でお世話になることに決めた。かっこよく言えば、イベント関連の仕事が諦めきれなかった。でも、正社員枠ではないから派遣アルバイトになる。アルバイトから正社員になれたらいいな〜と漠然と考えている。

もちろんイベントは不定期で定額給料が入るわけでない(なんなら某ウイルスのお陰で殆どのイベントが中止になっているので仕事はゼロ🖕)だから、今はパートタイムで教材DVDの映像編集の仕事をしている。

まぁ、いわゆるフリーターだ。

そしてあの地元テレビ局の内定は1月になってから辞退した。

 

 

 うちの両親の理解があったからできることだし、学校の先生がイベント運営会社を紹介してくれなければない縁だったから、本当に感謝している。

 

 

就活期間を経てひとつわかったことは1から10まで通してまじ覚悟超必要

こういう生き方が出来る人の多くは実家に住んでいる人だと思っているから(私調べ)やっぱり一人暮らしの中で生活できるかが、正直すごく不安。

だけど、まあ今までも適当に生きているので、なんとかなるかなと思っている自分もいる。 

 

 

 

就活ブログって、基本、『こういう企業に就職できたよ〜!』っていうオチなはずだから、何のためのブログやねんってな。

わたしも思った。

 

やりたいことはいつかまたやりたくなった時にいつでも出来る!と思って一般職を求めてたけど、だけど、人間いつかは死ぬし(特にわたしの選んだ業種は)若さや体力が大切だったりするから、考えたら”いつか、また” なんてなかった。

だからもし、 やりたい事安定 の間で迷っているなら、今ならやれる事 を軸に考えたらいいのかなと思う。

そして限界が来た時に、また考えればいい。

私も2年後、5年後くらいに今後と自分を考え直す時を作ろうと思ってる。

 

それまではこの樹くんを胸に生きます。(汎用性の高さ)

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これを読む 後の就活生(居るのかな😌)は勿論だけど、自分自身へ

この仕事での生活が限界になったり嫌になったときや転職を考えたときに、見直して欲しいからこのブログを書いた。

だってあなたがこうやって決めたんだもん。

苦しいのも大変なのもしょうがない。自己責任です。

だけどもうちょっと楽に働いていいし、もうちょっと無責任でいいんだと思う。

もっとラフに生こうよ。

もう無理!諦める!辞める!って思ってもその気持ちや行動に後悔しないように早い段階から頭使って自分で動きなね。

 

ただ体の声にはちゃんと反応して対応しようね。

健康第一。

 

 

 

 

そしてオタクは辞めねえ。

オタクを軸に生きる。

大事なのは!

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次のコンサートはいつかな〜〜〜??😇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

形態や職種は違えど働く全人類にすげえなって尊敬を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

追記:え、こんな就活ブログある?